公園の散歩

妻が外科手術を受けてから5週間、退院し自宅でリハビリ生活をはじめてから2週間半が経過した。入院前は脊髄の神経が腫瘍で圧迫されて歩行困難だったが、日々少しずつ回復している様子が分かる。入院前には足の筋肉を鍛える目的で近くの公園を散歩していた。退院後もリハビリ目的で同じ公園を1時間ほど毎日散歩している。入院前の公園散歩は病院での手術後のリハビリ回復が順調であったことから効果があったと感じている。お陰でリハビリ病院への転院をせずに自宅でのリハビリとなった。自宅療養での介護世話係は私である。幸いトイレ、シャワー、階段の上り下りは家内が一人でできたので大変助かった。胸骨付近の脊髄を外科治療したのでコルセットを常時着用しており、この状態は手術後3月経過する6月に予定しているMRI診断まで続く。自宅リハビリ生活で妻は毎日近くの公園散歩を楽しんでいる。転倒の心配があるので原則付き添っている。天候は暑さ寒さの変動が激しいが幸い天候に恵まれている。雨が予報された日でも雨雲の動きをネットで調べ雲が空を覆っているが雨が降らない時間帯に散歩している。入院治療中には桜をはじめ公園で様々な花が綺麗に順に咲いていた。今は緑が濃くなり芝生の刈り込みも行われた。公園の後ろ側にビオトープがある。入院まえにはそこに白鷺が来ていた。その近くには妻が歩行練習で歩き回る小さな丘がある。最近の散歩ではカモのツガイが我が物顔で丘周辺を歩いたりお休み鎮座している。数メートルまで近づきスマホカメラを向けると警戒してゆっくりと離れていこうとするが慌てる様子はない。平和な風景である。

あと何年生きるの?

孫が新一年生として小学校に通い始めた。70歳代となった家内が歩行が困難になり数年間のリハビリも効果が思わしくなく、MRIで診断していただいた結果、腫瘍を除去する手術を受けることになった。待ち遠しかった入院手術を受け、手術後はベッドで横になったまま、心電図などの装置、酸素濃度測定装置、その他のケーブルがものものしく装着されていた。覚悟して手術を受けたが、二度と同じ手術を受けたくないと話していた。ほぼ1週間経過して週末に長男家族が孫を連れて見舞いに来てくれた。小学校に通い始めた孫は将来医者になりたいと話しているという。興味深そうに心電図などのディスプレイに表示されるグラフや数字を見ている。「これは何?」質問があったので、患者の様子が正常かどうかを調べる機器であることを説明した。6歳の孫は私に向かって質問した。「ジージーはあと何年生きるの?」この質問は私が日頃自身に問い合わせているが、孫から質問を受けて戸惑った。「高齢者が一人で生活できる健康年齢が72歳と言われていてジージーはもうすぐ75歳。この歳まで生きていると死ぬのは平均的には83歳程度。最後の7ないし8年は介護してもらわないと生活できないかも知れない。」と回答してみたが恐らく孫には通じていない。長男は孫に「そのような質問をしてはいけないんだよ」と優しくたしなめていた。「あと何年生きるの?」を言い換えると「あと何年健康寿命でいられるの?そして何年介護してもらわないといけないの?」となる。家内の入院で人生最後の難題が目前に迫っているのを感じた。

めまいと吐き気

70歳代になって毎年のようにややこしい病気を患っている。2018年は「何かな、何時来るのかな?」と思っていたら早速到来した。2時間ほど車を運転して自宅に駐車し降りたとたんに目眩である。何時もの軽い目眩であれば少しそのままの状態で我慢していれば回復するが今回は治まらない。フラフラしながら転倒しないように壁伝いに玄関を開け、リビングのソファーに座った。目をあけると目眩を感じる。お白湯を少し飲んだら吐き気を急に感じて床にうつ伏せに転がり込んで洗面器を持ってきてもらった。そのまま少し寝てしまったが、目を開けて起き上がる姿勢を取ろうとすると相変わらず強い目眩と吐き気を感じる。2時間が経過し、脳梗塞だったら薬治療の時間制限があることを思い出し、救急車を呼んでもらった。まもなく到着して救急車に乗せられ色々質問され、目を閉じたまま返事をした。左を下にして横向きの姿勢であれば安定しているが、少し上向きに体位を変えようとすると強烈な吐き気を感じる。救急車の隊員が「2時間待たなくても30分から1時間で救急車を呼んでもらっていいんですよ」と優しく家内に話していた。「親切だね」と家内は感激していた。救急病院に到着し、CT、X線、MRIの検査を受けそのまま入院となった。どの検査も異常が見つからないので翌日耳鼻咽喉科の診断を受けることになった。全て段取りよく検査と判定作業が進み、看護師さんも親切で、日本に住んでいて助かったと思った。診断結果は「良性発作性頭位めまい症」で、医者に運動療法説明コピーを渡され自宅でしばらく様子を見ることになった。医者は1月間は運転しないこととアドバイスをくれた。また「最近インフルエンザにかかりましたか?」と最後に聞かれた。自分の周囲にインフルエンザにかかった人が複数人いる。インフルエンザが今回のトラブルの引き金になったのかも知れない。近い将来襲われると予想する脳疾患の予行演習として大変有意義であった。また同じように親切な救急隊と救急病院に助けてもらえたら有り難いのだが。

 

100歳の義理の母

義理の母は100歳を超えて介護施設に入っている。先日家内と会いに行った。家内は両親に可愛がられたようで、母親が大好きである。ベッドに横たわる母親は私の顔を見るなり「長生きしなはれよ」と声を発した。「良く来てくれなはれた」は子供たちが訪問すると何回も発する言葉である。100歳の誕生日を超えて、手や顔の肌の色は健康な色をしており、爪の色を比較すると私のそれより綺麗な色だと感じた。家内は母親の顔をじっと見つめている。話しかけるときは耳元で大きな声を出す。娘の話を聞くと喜びが顔に現れる。「世の中の沢山の人にお世話になったのでそのお礼が出来るまで神様がもう少し時間をくれた」とはなす。神様仏様のお話しが良く口からでて、人生は人により経験することは異なるが最後は皆同じ「死」を迎える、と話す。4名の子供を慈愛深く育て、信心深く、ほぼ毎日のように子供や孫が介護施設を訪問している。「決して人の悪口を言わない」という信念で一生を過ごし、今子供たちに愛される100歳である。

貴ノ岩集団暴行

貴乃花理事を降格させる提案を評議委員会に付議することが決まったようだ。今回の暴行事件の背景は集団リンチである。

・集団リンチの直接の引き金は貴ノ岩が横綱を倒す力を付けてきたことにある。

・白鵬をトップに据えるモンゴル勢は貴ノ岩の親方が貴乃花であることに脅威を感じている。理由は貴ノ岩が本気で勝負をするように仕込まれているから。その結果白鵬は今後優勝を積み重ねることが望めなくなると予感している。

・そこでモンゴル勢の意向を汲むように貴ノ岩の説得を試み、その結果リンチを日馬富士が実行した。白鵬はリンチを黙認し、貴ノ岩を自分の意向に従うように仕向けた。

・貴乃花は部屋の力士が今後ともモンゴル勢に敵視されることを十分感じている。稀勢の里が日馬富士との取り組みで大けがを負い、その後思うように回復していない。これもモンゴル勢の作戦だったのかも知れない。貴ノ岩についても今後力士として復活できなければ、モンゴル勢の一致団結を誇示する絶好の先例となる。日馬富士はモンゴル勢の先方の役割を完璧に果たした。

・貴乃花が事件の背景を話さない理由は、勝負師としてプライドがあるからで、モンゴル勢の談合はいずれジャーナリズムが明らかにするだろうと考えている。本来は相撲協会が自己改革すべきだが、トップは談合を阻止する組織改革に取り組む意志が欠如している。

モンゴル勢の忖度は白鵬を頂点としている。従って白鵬が横綱である限り今後とも明に暗に集団リンチが発生する可能性が高い。今後白鵬の相撲を見たいとは思わない。上手に取り組みを演技していると疑う目しか持ち合わせていない。貴乃花部屋の力士に声援を送るのは無論である。

恩師の告別式

寒さが身にしみる冬の朝に自宅を出て、電車を乗り継いで五反田周辺の斎場に赴いた。恩師の告別式に出席するために夫婦で出かけた。斎場では6組の告別式が同時に準備されていた。訪問者は祭壇に向かって左側の椅子に座るように案内され、右側の席には親戚の方々がお座りになった。確か天台宗の副館長と案内があったと思うが、読経が10時から始まった。20分もすると家族の焼香、親戚の焼香、に続いて参列者の焼香となった。参列者は全体で50名程度であった。斎場では線香の煙と臭いで風邪気味の家内が咳き込んでしまい、一時室外に待避した。読経が終わると最後の別れの儀式となった。全員で順にお棺に花を入れて別れの挨拶をした。娘さんが我慢できなくて嗚咽していた。喪主の挨拶が印象的であった。2年前に奥様を亡くしお一人で暮らしていた先生を新築の自宅に引き取り、昼はデイサービスで、夜は家族と同じ家で過ごし、孫と一緒の生活を送ることができた。孫5名は先生が功績を挙げて表彰されたイベントに関連した名前をつけた。また85歳で他界された先生が大学院生時代に製作したディジタル交換機が未来遺産として登録されたことも紹介された。息子さんは精一杯高齢の先生をお世話されたことがお話しの様子から感じられた。お幸せな人生を送られた恩師は天国で満足されているに違いない。

高齢者の咳払い

数日前に友人に講演会で会い、病院に行ってきたという。話題は喉に溜まるタンについてだ。友人が病院で処方してもらった薬は、口から喉に霧を吸い込み肺に吸入するものだった。大学時代に恩師が講義中に使っていた咳止めと同じだねと話した。恐らく肺で生じる発作を抑える薬だろう。我々70代は喉にタンが溜まりやすい。小学校の生徒だった時代に、校長先生が朝礼で咳払いをすることがしばしばあった。子供心に校長先生が偉いから咳払いをするのかと思っていたが、この年代になってごく普通の健康トラブルであることを体感した。私自身も喉にタンが溜まりやすい。布団に入ったとき仰向けに寝ていると徐々にタンがたまって咳を意図的に出すことになる。このままでは寝付きにくいので、体を横に向けるか、うつぶせの体勢にしている。毎日の食事から何となく長ネギが喉に優しいと感じている。長ネギをきざんで夕食の味噌汁に入れる。ただそれだけだ。友人にこのことを話した。友人の奥さんはネギの臭いが嫌いなようだった。小さな高齢者の健康トラブルを対象に、テレビでは健康食品の宣伝が常に流れている。これも平和な時代を象徴するイベントかも知れない。

 

白内障の手術(2)

6月20日に手術を受け、2月以上が経過した。手術を受けたのは白内障専門病院であったが、手術後2回ほどチェックを受け、その後地元の眼科に通うことになった。専門病院から地元眼科に手術についての通知が郵送され、その資料を見てしばらく検査と点眼を継続することになった。2ヶ月間は3種類の点眼薬を日に4回点眼する。2ないし3週間毎に通い、視力の検査を受ける。8月末にやっと点眼薬が1種類になり、日に3回の点眼となった。手術前は手元で作業するメガネと自動車を運転するときのメガネ、さらに外出するときのメガネと3種類を使っていた。今回の手術で近眼となるレンズを入れた。それにより手元を見るメガネは必要なくなった。実際には以前は手元の20センチによく見えるポイントがあったが、手術後は40センチほどとなった。このため時々目を近づけて細かい作業をするとき、無意識にメガネを外す仕草をする。そのとき外せないメガネが目に入っていることを思い出す。手術後の見え方が安定するのは手術後1月と言われていたが、2月後の現在ある程度安定したかも知れないと思っている。ただ高齢者なので体調によって見え方が変化するかも知れないと考えている。先日眼科で作成してもらったメガネの処方箋をもって眼鏡屋に行った。現在メガネのできあがりを待っている。家庭内の日常生活ではメガネをかける必要がなくなった。テレビをはっきり見たければ近眼用のメガネをかけるが、裸眼でも視力が0.1程度あるので居間のテレビ画像をある程度認識できる。生活上の問題は近視眼鏡を家の中で探す頻度が増えたことだ。仕方なしにメガネを首からぶら下げるチェインを入手して、メガネを探す頻度を減らすこととした。今後も慎重に目のコンディションを見ていくつもりである。

再生可能エネルギー電子申請のトラブル

自宅で太陽光発電設備4.5kwを設置し平成26年10月から稼働している。6月になって業者が電話をかけてきて、法律が改正になったから新たに「みなし認定移行手続き」が必要と説明があった。説明では電子申請と紙申請があり、紙申請の方が簡単なので「印鑑証明」を取ってくれという。印鑑証明をとるには費用が必要だし、電子申請で済ませることができるのであれば、電子申請を私が行う、と返事した。ログインIDとパスワードを教えてもらいネットにアクセスするとログインできない。6月上旬のことである。https://www.fit-portal.go.jp/にアクセするとシステム障害が発生し、6月下旬に2回障害復旧作業を行うと書いてあった。そして6月30日になって業者から教わったログインIDとパスワードを使ってネットに入って操作すると、業者の資料では順調にページが進むことになっていたが、途中で「システム障害、設備設置者ログインIDでは申請できません」という内容が表示された。また別のWEBページで「登録者IDでなければ申請できません」と表示されたので、業者に登録者IDを知らせてくれるように電話した。業者は他人の情報が漏れるので登録者IDを知らせることは出来ないと回答した。そして0570057333に電話してお願いすれば、設備設置者ログインIDで登録できる方法を教えてくれるという。そこで電話して相談してみた。建前は電子申請は登録者IDの所有者しか認めないという回答だった。しかし業者に相談するように言われたとお願いしたら、オペレータが見ている画面と私が見ている画面が同じであることを確認することが難しかった。オペレータは画面の構成で説明しようとするが判然としないので、URLを教えてくれとお願いした。しかしオペレータはURLの意味が分からないようだ。結局このオペレータでは電子申請ができず、最後に確認した。「業者は登録者IDを持っているので簡単に電子申請ができるのに、何故設置者に紙申請を促すのでしょうね」 回答は「業者によってはそのような例があるようです」 その後ネットで調べると紙申請は代行業者に電子申請を依頼する手順であることが分かった。設備設置者に電子申請をさせずに、紙申請に誘導する仕掛けになっている。しかも印鑑証明代を負担させ、代行業者の仕事を増やす仕組みだ。紙申請は一件ネットになれていない人に親切と思われる申請方法であるが、実は設備設置者に負担を強いて、代行業者が儲かる、ということが今回のトラブルで分かった。

白内障の手術

6月20日に白内障の手術を受けた。今日は22日で2日後であるが、手術を受けた甲斐があったと実感している。飲み薬は2種類を一日三回の食事の後にとり、目薬は3種類を一日6回点眼するように指示されている。手術前に2回通院して各種の検査を受け、手術後も昨日と一週間後の2回に通院する。手術を受けることが決まると冊子を渡され、詳細に手術の内容について説明があり、安心して受けることができた。手術前の最大のエポックは、女性医師から「片目の手術を希望されていますが、両眼の手術にしませんか?」と言われたときだった。理由は強度の近眼なので、片目だけの手術だと左右のバランスが極端に悪くなり、結局直ぐに残りの目も手術することになる、ということだった。最初に片目の手術を希望したのは「目」の治療で失明したら怖いので、片方だけで様子を見たかったのだ。お医者さんの説明は十分に理解できたので、両眼を一度に手術しますとその場で返事した。お医者さんに任せるしかない、という「まな板の上の鯉」の心境だ。最近の白内障手術はほとんど成功するようだ、と噂を聞いていた。それでも自身のことになると心配だ。手術台の上では目の一部に麻酔をしているものの、苦しい圧迫感を感じた。何とか我慢しなければと体に力が入った。医師はリラックスしてくださいと話しかけてきた。今日は手術後2日で間もないため目は不安定な期間であり、1週間後に再度検査に通院する。そこで運転可能かどうか確認することになっている。また1月間はゴーグルをつけて治療した目を保護しなければならない。白内障の治療を受けた20世紀人類としての感想は、21世紀の医療技術の進歩に大いに感謝である。